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十二月といえば、「時は元禄、花のお江戸での赤穂浪士の討ち入り」で有名な忠臣蔵の話が出てきます。当時の歯みがき粉の主成分には塩が使われていましたが、その塩生産の本家は三河吉良(愛知県)と相場が決まっていました。
そこに新ブランド播州赤穂(兵庫県)の塩が味、品質ともに評判を得て将軍家御用達にまでなりました。赤穂は吉良家に家来を派遣し製塩法を教わった上に歯みがき用の焼き塩を考案。「赤穂の花形塩」の名で大ヒットを飛ばしました。吉良家にとっては面白くなかったでしょう。この事が原因で、俗説では松の廊下での刃傷ざたから討ち入りにまで至った話になったのでしょうか。
当時の歯ブラシは房ようじといい、楊柳(ようりゅう)の端をたたいて房状にした長さ十二センチほどのものでした。みがき粉は房州砂(千葉県館山市産のみがき粉)に竜脳、丁子、じゃこうなどの香料、焼き塩などを混ぜたもので、小皿にのせて房ようじに付けて磨いていました。房ようじを使った歯みがきはたちまち江戸の一般庶民の間に広まりました。
今は多くの種類の歯磨剤(しまざい)がありますが、基本的な成分は似たようなものです。効能は主に歯みがき粉に含まれる研磨剤により色素を除去したり、香料により爽快(そうかい)感が得られる事です。あくまでも、歯ブラシなどでプラークをしっかりと除去した後の補助的なものと考えて良いでしょう。ただ、この爽快感のために実際はブラッシングが不十分でも完全に清掃できたと思ってしまうので、気を付けてください。
今夜の歯みがきでは、このように忠臣蔵のエピソードが伝わっていることに思いをはせてみてはいかがでしょう。 |
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